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第 1 回  洪水リスクアセスメントのための入門講座   
新連載
都市の洪水リスク解析入門
 
今回より新たにスタートする本連載は、書籍『都市の洪水リスク解析』(著:芝浦工業大学教授 守田優氏/フォーラムエイトパブリッシング刊)による入門講座です。洪水リスクアセスメントの考え方について、基本的な理論や手法からリスク評価への応用、将来的な展望までをわかりやすく解説していきます。第1回は、洪水リスクをめぐる用語や概念・定義、各国における歴史・概況を紹介し、洪水リスクマネジメントの基本フレームまでを説明します。
 洪水リスクマネジメントの始まり

将来の不確実性をともなった損失を“リスク”として認識し、それをどう管理するかというリスクマネジメントは、特に20世紀後半、企業経営の分野で始まったものである。すなわち企業は収益を第一に考えて行動するだけではなく、予期せぬ損失が企業の内外に発生する危険性を適切に管理していかなければ倒産に追い込まれることもある。このような認識をもとに、保険をはじめとする種々の手段によって危険を管理する必要性が生じてきたのである。

米国においては、1955年、600社の加盟会社からなる米国保険管理協会が組織され、保険購入者の連携のもとに保険マーケットが育成されていった。そして学問的に“リスク”をどう定義し、それをいかなる手法によって管理していくかが1960年代から課題として本格的に取り組まれるようになり、“リスクマネジメント”として普及していったのである。

リスクマネジメントが、企業経営と保険の領域から始まり、やがて自然・社会事象に拡大され、その適用範囲を拡げていくなかで、自然のリスクとして人間生活と深いかかわりのある洪水と水害に関するリスク概念が形成されていった。人間社会は長い歴史のなかで、洪水に対して、堤防を築いたり、分水路をつくったり、氾濫原を管理したりしてさまざまな治水対策をとってきた。しかし洪水リスクが定義され、リスクの定量化とリスク管理が組織的な方法として確立してくるのは1990年代からである。まず米国において米国陸軍工兵隊がリスク解析の手法を確立し、さらに欧州においては、2000年代に入って大規模な水害を経験するなかで、従来の治水の考え方に替わる新たなパラダイムとして洪水リスクマネジメントが登場することとなった。


 洪水リスクの定義をめぐって

リスクの伝統的な定義は、危険性のある事象の生起確率とその事象のもたらす損害(impact)の積である。これを踏まえると、まず、(洪水リスク) = (洪水の生起確率)×(洪水による被害)として、次のように定義できる。

  • Flood risk = Flood probability × Flood damage     (1)

近年、世界的に洪水リスクマネジメントの認識が広がるなかで、洪水リスクに関する出版物も多くなっている。その中で、2012年に出版された“Flood Risk”(editedby P.B. Sayers)での定義を踏まえると、洪水リスクは次のようになる。

  • Flood risk =Flood Probability * Flood damage     (2)

ここで*は結合(combination)を表す。あるいは、Flood riskは、Flood probabilityとFlood damageの関数である、という言い方もできる。
この定義(2)は、上述の(1)よりはやや緩い定義であるが、リスクに関して、確率と被害という二つの要素を明確にし、その結合としてリスクを定義している。(1)では“結合”を“積”としてさらに限定的に定義していると言える。

ここでリスクの定義として重要なCrichtonのリスク・トライアングルを取り上げる。Crichtonは、数あるリスクの定義を踏まえた上で、1999年、簡明で包括的な定義として、図1に示すリスク・トライアングルを提案した。これは、リスクを、Hazard、Exposure、Vulnerabilityの3つの要素からとらえるものである。HazardはPeril(ペリル)によってもたらされる損失を増加させるもの、Exposureは損失にさらされるもの、Vulnerabilityは損失の受けやすさ(脆弱性)である。この3つの要素は、その後の洪水リスクマネジメントに受け継がれ、現在、洪水リスク論において定着している。Crichtonのリスクの定義から、洪水リスクは以下のように定義できる。

  • Flood risk =Hazard * Exposure * Vulnerability    (3)

ここで洪水リスクの定義を考えるために、洪水リスクの構造を図2に示した。ある確率をもって生起する豪雨によって洪水が生じる。洪水があるレベルを超えると、破堤や溢水によって外水氾濫、あるいは内水氾濫となり、流域の地表面の一部は浸水状態になる。ここで「浸水しやすさ」がHazardであり、それは浸水の頻度と強度によって表現できる。浸水する場所に位置する建物や内部資産等は被災対象(Exposure)となるが、浸水被害をどの程度受けるかは被災対象の浸水脆弱性(Vulnerability)によって決定する。洪水リスクの定義(1)を踏まえると、洪水リスクマネジメントは、この全プロセスを視野に入れ、洪水の生起確率と洪水による被害の積を最小化することと言える。以上がこれまで議論されてきた洪水リスクの定義である。     画像をクリックすると大きな画像が表示されます。
図1 Crichtonのリスク・トライアングル
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図2 洪水リスクの構造

ここで、定義(2)と定義(3)の関係を考察すると、定義(3)は、図2の洪水リスクを黒色の実線で囲ったように、Hazard、Exposure、Vulnerabilityに分解して結合するものである。ここで定義(3)のHazardを豪雨の生起確率(Storm probability)と洪水による浸水(Flood inundation)に分解すると、図2に赤色の点線で示したように、Flood damageをあらためて以下のように表わすことができる。

  • Flood damage=
     Flood inundation * Exposure * Vulnerability      (4)

そして洪水リスクは次のように定義できる。これは図3の赤色の線で表した洪水リスクの定義になる。

  • Flood risk =Storm probability * Flood damage     (5)

洪水リスクの定義にある生起確率を、(2)では(洪水の確率)とし、(5)では(豪雨の確率)としている。どちらをとるかはリスクの定量化において重要な問題である。本書では、定義(5)を基本とし、リスク定量化においては、結合(*)ではなく、文字通り乗算(×)として洪水リスクを計算する。


 洪水リスクの定量化

洪水リスクマネジメントは、後述するように、リスク分析・定量化(リスクアナリシス)、リスク評価(リスクアセスメント)、リスク低減策(リスクリダクション)の決定、実行というサイクルを形成する。前二者においてはリスクを定量化する必要がある。そのためには、洪水リスクに関するPeril、Hazard、Damageを定量化しなければならない。これによってリスクそのものを定量的に把握し、意思決定の重要な情報として利用することができる。

また、洪水リスクマネジメントは、洪水リスクを低減するためにソフト・ハードのさまざま対策について最適な対策を決定し、実行する。この意思決定においては、その対策の費用とリスク低減効果を定量的に把握しなければならない。そのためには浸水による被害について定量的に見積ることが必要である。具体的には、浸水による被害を金額ベースで評価する。

洪水リスクには、資産の被害、事業所の営業損失など金銭的に定量化できるものもあるが、死亡や精神的ダメージなど定量化が難しいものもある。実際のところ、一度、甚大な浸水被害を受けた住民は、日々の生活の中で水害の不安を抱えることになり、これが精神的な被害と見なされることは確かである。また生命の損失ということになると、被害は定量化不可能である。しかし、洪水リスクマネジメントでは、洪水のリスクを金額ベースで算定することは中心的な作業のひとつであり、浸水による被害をいかに合理的にまた適正に評価するかは主要な研究テーマのひとつである。


 洪水リスクマネジメントの基本フレーム

洪水リスクマネジメントの枠組み

洪水リスクマネジメントは、豪雨という危険原因(Peril)によってもたらされる危険状態(Hazard)を分析し、被災対象(Exposure)に生じる被害(Damage)をその脆弱性(Vulnerability)とともに予測し、さまざまな対策を組み合わせて全体の被害を最小化する持続的な取り組みである。そのフローはすでに述べた一般的なリスクマネジメントの流れを踏まえたものである。図3に洪水リスクマネジメントの枠組みを示す。

洪水リスクマネジメントは、まず洪水リスクの発見・評価から始まる。これは、過去の水害調査、土地利用調査、被害物件の浸水脆弱性調査など、浸水被害可能性を高めるさまざまな要因を調べることである。次に現状における洪水リスクを定量化するとともに、さまざまな対策がとられた場合の洪水リスク低減効果を定量的に把握し比較評価する(洪水リスクアセスメント)。そして、このアセスメントをもとにリスク処理手段を検討する。それには長期的な治水計画、雨水処理計画などのハード対策のみならず、洪水予報システムや豪雨時の対応などソフト対策としての被害軽減行動計画も当然含まれる。

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図3 洪水リスクマネジメントの枠組み

ここでリスク処理手段は、リスクマネジメントの一般的な枠組みに従って、リスクコントロールとリスクファイナンシングに分けられる。リスクコントロールには、リスクの防止(治水事業、雨水排水事業)、リスクの低減(豪雨時の被害軽減行動など)、リスクの回避(建物のピロティー化など)がある。一方、リスクファイナンシングには、危険の保有(積立など)や危険の移転(保険など)がある。

こうしてさまざまなリスクコントロールを実行し、実際の豪雨時に治水対策は有効に機能したか、行政や住民の行動は適切であったか、あるいは水害の復旧はスムーズに行われたか、さらにリスクファイナンシングとして復旧のための資金調達は滞りなくできたかなど、洪水リスク低減対策全体について評価を行う。

以上のような洪水リスクマネジメントの枠組みは、一方向のフローではなく、図4に示したように、PDS(Plan - Do - See)サイクルとして持続的に実施する。このサイクルが、洪水リスクマネジメントの本質的な点である。これまで、ともすればハード整備を主体に対策が考えられてきたが、計画−実施−評価のサイクルとしてとらえることが重要である。
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図4 洪水リスクマネジメントのPDSサイクル

減災からリスクマネジメントへ

洪水リスクマネジメントは、洪水リスクを低減するために最大の効果を発揮するよう、さまざまな個別対策をポートフォリオとして組み合わせるものである。図5に洪水リスク低減対策をマクロvsミクロ、ハードvsソフトの座標軸のもとで体系的に示した。一級河川の治水事業は最終的に国土交通省が責任をもつものであるが、洪水リスクマネジメントは、自治体が住民とともに進めるものである。都市によってハード整備の水準や人口・資産の集中度は異なる。リスクコントロールの手段とともに、リスクファイナンシングとして水害保険を適切に組み合わせることも選択肢としてあるだろう。

ハード、ソフト、マクロ、ミクロ、さまざまな対策があるが、それぞれの都市の実情にあわせて、リスク低減を最大にするポートフォリオを決定し、リスクマネジメントのPDSサイクルを回していくことが肝要である。

戦後の日本においては、高度経済成長期、洪水による被害を出さない「防災」を目標に治水事業が実施された。しかし、自然災害はわれわれの防災力をはるかに上回るレベルで起こりうること、また、防災に当てる予算や資源も限られていることから、完全に被害をなくすことは不可能であるとの認識に至った。そこで、自然災害によって被害が生じてしまうことはやむをえないとしても、その被害をできるだけ減らしていくことが重要だ、という考え方に変わった。これが現在言われている「減災」であり、戦後の「防災」行政の軌道修正として、従来の公助に対して、さらに自助・共助を加えて防災力を高めようという考え方である。ただ洪水リスクという観点から考えると、これまで防災行政は、治水事業や流域対策(総合治水)によって、ハザード(Hazard)、すなわち、浸水しやすい状態をいかに改善していくかということに努力を集中し、流域全体の浸水脆弱性(Vulnerability)の克服という課題については、行政の範囲を超える「協力要請」として位置づけてきたことは否めない。

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図5 リスクマネジメントのリスク低減策の体系

洪水リスクマネジメントと減災の違いは何か。まず、建設に長期を要し、費用もかかるダムや堤防などの大規模ハード対策の位置づけである。国家的な損失に結びつくクライシスマネジメントでは、このような大規模ハード施設は生死を決する重要性をもつ。しかし、数年スケールでPDSサイクルを回す洪水リスクマネジメントにおいて、建設に数10年の時間スケールをもつ大規模施設は、ほぼ洪水対策の「境界条件」と見なしてもよく、ハード施設という与えられた境界条件のもとで、いかに洪水リスクを低減させるかが目標となる。洪水対策の重心が移動するのである。そのため、図5に示したハード、ソフト、マクロ、ミクロのあらゆる対策の最適なポートフォリオを決定し、マネジメント・サイクルを実行していくことが重要な課題となるのである。

もうひとつ重要な違いは、都市流域の地域性にもとづく洪水対策の多様性である。都市流域によって地形やハード施設の整備レベルは異なり、人口と資産の集中状況も多様である。よって都市流域をもつ自治体ごとに選択する対策の組合せは異なって当然である。しかし、どの自治体の担当者からもよく聞かされるのは、「時間50mm対応で河道整備を鋭意進めています。さらに住民の皆様の共助と自助が必要です」というような言葉である。洪水リスクマネジメントの主体は、行政(自治体)と住民である。都市流域の「浸水脆弱性」を克服するため、両者がともに協働によって洪水リスクの発見と評価を行い、最適な意思決定を目指してリスク軽減対策に取り組むことが望まれるのである。

行政と市民のパートナーシップという考え方が広まりつつある現在、行政と市民が一緒になって、洪水による浸水脆弱性を乗り越えるためのハード・ソフト対策をともに推し進める時代になっていると考える。


 出版書籍
フォーラムエイトパブリッシングの書籍シリーズ
『都市の洪水リスク解析 〜減災からリスクマネジメントへ〜』のご案内

洪水リスクアセスメントの考え方について、その基本的な理論や手法から、マクロ・ミクロ解析によるリスク評価への応用、
将来的な展望までをわかりやすく解説。

■著者 守田 優 (芝浦工業大学 工学部 土木工学科 教授)   ■価格 \2,800(税別)
■発行 2014年11月25日   ■出版社 フォーラムエイト パブリッシング

※書籍のご購入は、フォーラムエイト公式サイトまたはAmazon.co.jpで!
 『都市の洪水リスク解析 〜減災からリスクマネジメントへ〜』目次構成目次構成    
第1章 洪水リスクをめぐって(序論) 第5章 洪水リスクアセスメントとその応用(マクロ・ミクロ解析)
第2章 都市と洪水流出 第6章 洪水リスクの不確実性
第3章 洪水リスクアセスメントの基本フレーム 第7章 洪水リスクのアセスメントとマネジメント〜課題と将来
第4章 洪水リスクアセスメントの手法    
フォーラムエイトパブリッシングの既刊本


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