フォーラムエイト・ラリージャパン2022の地へ
2022年もどうぞよろしくお願いします。さて、フォーラムエイト・ラリージャパン2022(日本での世界ラリー選手権、通称WRC)が11月に愛知県と岐阜県で開催されることになりました。そこで、今年の都市と建築のブログは、ラリーの地を巡ります。今回は、名古屋をご紹介します。
モーニング
愛知に行くとなると、モーニングサービスが思い浮かぶ。名古屋駅を下りて地下街へ。知り合いに教えてもらった「コンパル」で、アイスコーヒーとエビフライサンドを注文した(図1)。老舗の喫茶店である。
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1 アイスコーヒーとエビフライサンド |
アイスコーヒーは、なんと、氷入りのグラスとホットコーヒーが別々の容器で運ばれてきた。筆者はマスクで覆っていても驚きを隠せない顔をしているが、店員さんは冷静だ。ここからは、自炊セッション。ホットコーヒーにクリームを入れて、ガラスのコップに注ぎこむ。
エビフライサンドは、揚げたてのエビフライを3本分もはさんであり、写真を眺めて想像した以上にボリュームたっぷりであった。サンドの並べ方は、フォトジェニックを意識していないのか、横並びであった。立てようとすると、エビが踊り出してサンドが崩壊しそうで、やめた。
尚、「モーニングサービス」略して「モーニング」は朝食を意味するが、外国では通じないので要注意である。
ナナちゃん人形の足元でシェアサイクルを借りてポタリング(図2)。名古屋の中心部は碁盤の目。まずは東へ、堀川を過ぎてから北上する。
名古屋城
現在の名古屋城は、徳川家康の命により築城された。大阪城、熊本城と共に、日本三名城に数えられる。
朝のお堀はほんとうに静かだ。城の北側にある名城公園側からは、天守を望める。丁度、朝日が金の鯱を照らしていた(図3)。さて、ここから熱田台地を南へ下っていこう。 |
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2 ナナちゃん人形 |
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名古屋城の南には、名古屋市役所本庁舎と愛知県庁本庁舎が並び建つ(図4)。いずれも近代建築で、国の重要文化財に指定されている。
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3 名古屋城とシェアサイクル |
4 名古屋市役所と愛知県庁 |
名古屋市役所本庁舎は、昭和8年(1933年)完成。三代目の庁舎であり、近代的なビルに和風の瓦屋根が載せられた、和洋折衷の様式。中央にはシンボリックな時計塔がそびえ、緑青の瓦屋根の頂部には4匹の鯱がにらみを利かせている。
愛知県庁本庁舎は、昭和13年(1938年)完成。ロの字型に配置された建物の三方の中央には、名古屋城の大天守を思わせる破風付きの入母屋造屋根が載る。
市庁舎と県庁舎が名古屋城を意識してデザインされている。ここまでの事例は他の都道府県にあるのだろうか。
久屋大通公園のPark-PFI
名古屋には、戦災復興街路として幅100mの道路(100m道路)が2本も整備されている。久屋大通りと若宮大通りである。100m道路と言っても、幅100mの全てが車道に使われている訳ではなく、大きな中央分離帯が緑地公園として整備されている。
久屋大通りは2020年、日本最大級のPark-PFI事業「Hisaya-Odori Park」として再生された。北側の公園入口からは芝生広場が中央に整備され、両側には商業施設が建つ。テレビ塔の南側には、長さ80mの巨大な水盤が設置されている。丁度、ミストの演出がはじまった(図5)。
Park-PFI制度(公募設置管理制度)では、都市公園において、飲食店、売店などの公園施設の設置や管理を行う民間事業者を公募により選ぶ。民間事業者が設置する施設から得られる収益を、公園整備に還元することを条件として、事業者には都市公園法の特例措置がインセンティブとなる。
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5 Hisaya-Odori Park とテレビ塔 |
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6 萬松寺 |
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7 宮の渡し公園 |
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宮の渡し
若宮大通りを過ぎると、整然としていた碁盤の目の街区は下町っぽくなり、大須商店街にさしかかる。この商店街には、先ほどモーニングしたコンパルの本店があるのだが、その向かいにある萬松寺は、織田信長の父・信秀が建立した織田家の菩提寺(図6)。父の葬儀の際、信長が位牌に抹香を投げつけたという有名な逸話が残る寺院。もっとも、現在の寺院は、1994年に完成したビルであり、本堂にあるからくり人形「信長」は、桶狭間への出陣前に舞った幸若舞「敦盛」を再現している。
真宗大谷派名古屋別院は、信長の父・信秀が築いた古渡城の跡地に建つ寺院。信長は、この城で元服した。
熱田神宮を過ぎて、「宮の渡し公園」に着いた。昔の東海道では、この辺りは「宮」という名の宿場であり、東海道一の大宿であった。お江戸日本橋から347.6km、東海道第41宿。今も船着き場がある。常夜燈や鐘楼や古い建物があり、往時の雰囲気を感じさせる(図7)。
東海道では、「宮」宿の次となる三重県「桑名」宿へは、七里(27.3km)を船で渡る必要があった。しかし、風があると船酔いをするし、海が荒れると船の出が遅れてしまう。そこで、熱田から佐屋まで陸路をいく佐屋街道が整備された。それでも三里の船路で桑名に渡ったのである。
堀川
宮の渡し公園からUターンして、今度は、名古屋駅方面へ北上していく。近くで、2度目のモーニング。電動アシスト自転車を借りているが、ポタリングを続けていると、小腹がすくものだ。
熱田台地の西を流れる堀川は、名古屋城の築城に併せて、福島正則によって掘削・開削された。当時は名古屋城と熱田宮の渡しを結ぶ延長約6kmの川であったが、その後、上流部の開削や下流部での新田開発が進んだ。
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他の都市河川と同様、昭和の中ごろまでは、木材、穀物、海産物などを運ぶ物流の大動脈であったが、やがて、水上交通から陸上交通に移行してからは、人々は水辺から遠ざかっていった。その後、水の浄化やまちづくりへの取り組みなどが行われている。
松重閘門は、堀川と「東洋一の大運河」と呼ばれた中川運河を結び、パナマ運河と同じ方式で水位を調節していた。東西長さ90mの水路の両端に高さ20mの塔が2本ずつ、ヨーロッパの古城を思わせるフォルムである(図8)。
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8 松重閘門 |
有松
電車で有松へ。東海道の鳴海宿(40宿)と池鯉鮒宿(ちりゅう。39宿)の間に開かれた。鳴海と池鯉鮒の間は11kmと長く、また、寂しい場所であったため、間の宿として作られた。そして、この地に移住した竹田庄九郎らが、九州から名古屋城築城に来ていた人の絞り染めにヒントを得て、有松絞りという新しい産業を生み出した。
ゆるやかに曲がる東海道沿いに、商家の主屋や蔵が並んでいる。2016年には、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている(図9)。
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9 有松のまちなみ |
桶狭間古戦場
桶狭間古戦場は、いつか訪れたかった場所。約460年前、兵力で圧倒的に劣る織田信長の軍勢が、奇襲攻撃によって敵方大将である今川義元を討ち取った戦いである。
桶狭間の戦いを描いた浮世絵を眺めると、深い山の中で戦われたように思えていたが、この辺りは大阪大学のある吹田市の千里丘陵のようであり、結構な坂が連なる地形、丘陵地である。
有松から国道1号線を過ぎ、高根山に登る(図10)。標高54.5m、この辺りで一番高く、今川軍の前衛隊がここから鳴海城方面の善照寺砦、中島砦の織田軍の動静を監視した。山へ登る坂道は一直線で、傾斜が厳しいのであろう、アスファルトではなく、コンクリートで舗装されている。バイクがエンジンをかけずに下りてきた(図11)。
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10 高根山 |
11 高根山への坂道 |
七ツ塚は、信長が義元を討ち取った後、勝どきを上げ、村人に戦死者を埋葬するように命じたとされる塚のひとつ。おけはざま山は、今川義元が本陣を敷いた地。近年、住宅地開発が進み、これらの碑は、住宅と住宅の間や、住宅の前に置かれるようになった(図12)。
桶狭間古戦場公園は、桶狭間の戦いの中心地で、田楽坪とも呼ばれた。義元最期の地であり、信長と義元の銅像が建立されている(図13)。
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12 おけはざま山 |
13 桶狭間古戦場公園 |
観光案内所に立ち寄ると、大高方面へ路線バスでたどりつけると知り、案内所そばのバス停から名古屋市営バスに乗った。
大高
桶狭間の戦いの時、松平元康(徳川家康)は今川勢であり、大高城にいた。大高に行きたかったのは、そのこともあったが、名古屋市内の5軒の酒蔵のうち大高には3軒があることも大きい。
大高駅のひとつ手前の丸根という停留所でバスを下り、桶狭間の戦いの前哨戦として、織田軍と今川軍が戦った丸根砦跡をぐるりと巡ってから大高城址へ(図14)。
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14 大高城址 |
大高城址に登り着いたら、自転車に乗った騎馬女子隊(子どもたち)に「おじさんはここに興味あるのか?」といきなり攻められた。「あるよ。なので大阪から来たよー」と答えたら、彼女たちは古い小判や丸瓦などの宝物をうれしそうに見せてくれた。この辺りの子供たちにとって、歴史との触れ合いはこれほど当たり前なのだろうか。
集落は古い町並みが残っており、素朴な感じである。その中で、酒蔵は規模が大きく、黒壁・黒塀がカッコいい(図15)。神の井酒造のご主人に、古くから良質な水が湧き、酒造りが栄えたこと、造った酒を前の川から海へ出て、知多半島の亀崎に集めていたことを教えていただいた。折角なので、行ってみよう。
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大高の純米酒 |
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亀崎
大高から大府まで行き、そこから武豊線に乗りかえて亀崎へ。亀崎駅は、1886年に建設された、日本最古の現役駅舎とされる(図16)。
海沿いの集落まで下りると、リノベーションされた3軒長屋はおやつタイムで賑わっていた(図17)。この辺りの集落には「せこみち」と呼ばれる路地が数多い。大坂と呼ばれる坂を登りきって振り返ると海が見えた(図18)。
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16 亀崎駅 |
17 三軒長屋 |
潮干祭は、300年以上も続くといわれる神前神社の祭礼であり、5輌の山車を潮干の浜に曳き下ろす。今年の5月は是非、祭り一色の姿を見たいものだ(図19)。
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19 潮干祭まであと・・・ |
最後になるが、名古屋をポタリングし、歩いていて感心したことは、横断歩道で車が必ず停まってくれたことだ。
大変ありがたかった。当たり前のことなのだが、是非、拡げていってほしい。
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