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大阪大学大学院准教授 福田 知弘 | ||||||
プロフィール 1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学准教授,博士(工学)。環境設計情報学が専門。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)国際学会 フェロー、日本建築学会 情報システム技術委員会 幹事、NPO法人もうひとつの旅クラブ 理事など。著書に、都市と建築のブログ 総覧(単著)、VRプレゼンテーションと新しい街づくり(共著)、夢のVR世紀(監修)など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/ | ||||||
おとがワ!ンダーランドでは、これまで積極的な活用が難しかった河川敷を日常的に利用しようと、数多くの主催者により、数多くのプログラムが実施されてきた。観光船の運航、SUP等の水上アクティビティ体験、サイクリング、朝市・夜市の定期開催、おもちゃ花火コンテスト、アウトドアウェディング、リバークリーン・橋洗いといった環境美化活動、ヨガ、マラソン大会、サッカースクール、ランニングスクールなどなど。 桜城橋桜城橋(さくらのしろはし)は、名鉄東岡崎駅と籠田公園を結ぶ位置に新たに架けられた、ヒノキが美しい人道橋。岡崎の街なかに迎え入れてくれる空間だ(図5)。
近いお手本になりそうな切り口として、現代の我が国ではどうだろうか。過去の体験を辿ってみると、阪神高速3号神戸線の京橋PAや5号湾岸線の中島PAは道路橋の上に休憩施設が建っている。人道橋と高速道路では、ニーズも規模も違うが、国内事例はゼロではない、ということは伝えることができた。 橋の上は、風がよく抜けるので強度や安全性の検討は言うまでもないが、制度は人間が創作するものだから、絶対悪なものでない限り、世の中の変化に応じて見直せばいい(とはいえ、実現するのは本当に大変だけどね)。 天下の道桜城橋から中央緑道を上がり、籠田公園に着いた。中央緑道も、籠田公園も、後ほど紹介するQURUWAプロジェクトのひとつとして、それぞれ、2021年、2019年にリニューアルオープンした公共空間である。 桜城橋、中央緑道、籠田公園を結ぶ道は、「天下の道」と名付けられている。中央緑道は、かつては、道路中央の緑地帯にヒマラヤスギが列植されており、緑豊かであったが、あくまで自動車の通行がメインであり、緑地帯の中に立ち入る雰囲気ではなかった。この空間を、誰もが楽しく安全に歩ける道であり、広場でもあるような「みちひろば」空間をコンセプトとして、再整備されている。 道路空間の両側に配置されている歩道・車道の幅員を少し減らして、緑道の幅員を増やすことにより、中央に広場空間を確保している。乙川からの河岸段丘の高低差を感じる場所であり、乙川の眺めを確保しつつ、歴史を伝えるヒマラヤスギを残すだけでなく活かしながら、階段状のテラスなどの立体的な居場所が設けられている(図9)。
今回、籠田公園には、昼、夕方、そして夜と、いくつかの時間帯に訪問した。金曜日だからか、良い天気だからか、夕方は様々な年代の人々が過ごしていた。夜になっても、人々は思い思いに利用していた。子ども連れのお母さんは子どもを遊ばせながら他のお母さんと井戸端トーク、高校生たちは休憩スペースで勉強や雑談するなどして(図12)。
QURUWAQURUWA(くるわ)とは、名鉄東岡崎駅、乙川河川緑地、桜城橋、中央緑道、籠田公園、りぶら(図書館交流プラザ)、岡崎公園など公共空間の拠点を結ぶまちの主な回遊動線のことを指している。この一連の動線が、地図上で「Q」の字に見えること、かつての岡崎城跡の「総曲輪(そうぐるわ)」の一部と重なることから名付けられた。 このQURUWAに位置する豊富な公共空間を活用して、パブリックマインドを持つ民間(事業者)を引き込みつつ、公民連携プロジェクト(QURUWAプロジェクト)を実施することで、その回遊を実現し、さらには波及効果として、まちの活性化、すなわち、暮らしの質の向上とエリアの価値向上を図ろうとする、QURUWA戦略が動いている。 康生通り籠田公園の西側に平行して延びる康生通り、連尺通りは規制緩和による指定団体を作って、オープンカフェ、広告板の設置など道路空間を使った民間の取組みの事業化と、それにあわせた道路空間の再構築を含めたプロジェクトが進む(図13)。
中川さんに案内してもらいながら、リノベーションされたお店や歩道に置かれたベンチに出会うことができた。中でも、古いカメラ屋をリノベーションしたホテルは、事前のネット検索では見つからず、新鮮であった。次回は是非。 天野さんが来られて、バトンタッチ。 誓願寺籠田公園の東を歩くと、石材店が並んでいる。町名も「花崗(みかげ)町」とある。この辺りには、大きな灯篭が置かれてあったり(図14)、寺が数多く点在している。
宇宙から降ってきた、といわれてもおかしくない姿である。頂には、ススキのような草がなびいている。背景は夕焼けがかった空であり、余計にシンボリックである。何なのか、わからず仕舞いであったのだが。 それにしても、岡崎がこれほどの石材の町であることは初めて知った。 松應寺前横丁籠田公園でレンタサイクルを借りて、天野さんがプロジェクトに関わった松應寺前横丁に向かう。 松應寺は、徳川家康の父・松平広忠菩提のために創建した寺であり、松應寺前横丁は、江戸時代は門前町、明治時代後期から昭和中期頃までは花街として栄えたエリア。 長さ40mほどの木造アーケードが隙間なく建てられた建物群とともに、レトロ感たっぷりである。時代に取り残された感じがするのはその風景だけでない。この地区の少子高齢化が、岡崎市の平均以上に進行しており、お寺と町内会、NPO法人岡崎まち育てセンター・りたの職員らにより、町おこしを始めた(図17)。
にぎわい市(イベント)、老朽化した空き家の改修によるにぎわい作りと共に、少子高齢化の課題と向き合う包括ケア会議を運用している。 岡崎城
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(Up&Coming '22 春の号掲載) |
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