はじめに    福田知弘氏による「都市と建築のブログ」の好評連載の第57回。毎回、福田氏がユーモアを交えて紹介する都市や建築。今回は岡崎の3Dデジタルシティ・モデリングにフォーラムエイトVRサポートグループのスタッフがチャレンジします。どうぞお楽しみください。
Vol.57  

岡崎:QURUWA
  大阪大学大学院准教授 福田 知弘
  プロフィール    1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学准教授,博士(工学)。環境設計情報学が専門。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)国際学会 フェロー、日本建築学会 情報システム技術委員会 幹事、NPO法人もうひとつの旅クラブ 理事など。著書に、都市と建築のブログ 総覧(単著)、VRプレゼンテーションと新しい街づくり(共著)、夢のVR世紀(監修)など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/

岡崎へ

フォーラムエイト・ラリージャパン2022の地を巡る旅、第2回は岡崎へ向かう。

拙著「都市と建築のブログ 総覧」に特別寄稿して頂いた、泉英明さんが率いる(有)ハートビートプランは岡崎のプロジェクトに長年関わっている。そこで、岡崎で色々と面白い取り組みを実践しつつ、決して四角四面ではない方々を紹介していただけることになった。現地で、岩ヶ谷充さん(NPO法人岡崎まち育てセンター・りた、ONE RIVER)、中川健太さん(岡崎市役所)、天野裕さん(NPO法人岡崎まち育てセンター・りた)にリレー形式で案内して頂くことになった。

古屋駅の地下街でモーニングしてから、名鉄に乗り、東岡崎駅へ向かう。矢作川の鉄橋を渡り、乙川(おとがわ)の鉄橋を渡るともうすぐだ。

岡崎は徳川家康の生まれ故郷。家康公の像の前で、岩ヶ谷さんと出会う(図1)。早速、乙川へ。


おとがワ!ンダーランド

乙川は、矢作川の支流であり、岡崎城跡のある岡崎公園のすぐ南を流れている(図2)。

おとがワ!ンダーランドは、乙川とその河川敷に新たな風景を生み出すとともに、エリアの魅力を高めることを目指した実験的なプロジェクトである。2016年~2020年の5年間を社会実験期間とし、現在は、後で紹介する「QURUWA」プロジェクトの一環(河川活用)として継続中である。

1 徳川家康像
2 乙川

殿橋テラスは、乙川にかかる橋のひとつ「殿橋」の南側橋詰の欄干をカウンターにした仮設のリバーサイドテラス。2016年から4年間実施した実験プロジェクトでは、殿橋の欄干の向こう側(河川側)にテラスを仮設して、ハンバーガーやドリンクを提供し、未知なる風景や文化に出会える場所を作り出した。そして今では、社会実験の成果を受けてテラスの常設化が進められた(図3)。ここからは、岡崎城や乙川、そして、殿橋の橋脚を眺めることができる。不思議なもので、石でできた欄干の上に、木製の板を敷くだけで、親近感が沸いてくる。その上に、フードやドリンクを置けば、生活感が出てくる。

下流に進むと、「日本一低い?」潜水橋に出会う。舟に乗ってこの潜水橋を何とかくぐり、下流で自然一杯楽しめるクルーズプログラムも実施しているそうである。この辺りの水深は思ったよりも浅く、綺麗で、魚たちが集まってきた(図4)。

3 殿橋テラスでモーニング
4 潜水橋と魚たち

おとがワ!ンダーランドでは、これまで積極的な活用が難しかった河川敷を日常的に利用しようと、数多くの主催者により、数多くのプログラムが実施されてきた。観光船の運航、SUP等の水上アクティビティ体験、サイクリング、朝市・夜市の定期開催、おもちゃ花火コンテスト、アウトドアウェディング、リバークリーン・橋洗いといった環境美化活動、ヨガ、マラソン大会、サッカースクール、ランニングスクールなどなど。


桜城橋

桜城橋(さくらのしろはし)は、名鉄東岡崎駅と籠田公園を結ぶ位置に新たに架けられた、ヒノキが美しい人道橋。岡崎の街なかに迎え入れてくれる空間だ(図5)。

5 桜城橋

橋には、乙川の上流にある額田地区でとれた岡崎産のヒノキがふんだんに使われている。このことは、岡崎市の面積の約6割を占める山間地の木材を使うことで、乙川の水源地の木を流域全体で使おうとする「森の地産地消」につながる。橋に使われる木材を一定の期間で張り替えていくことで、計画的な森林整備、機能保全や水環境の改善につながることも期待している。

桜城橋の構造(下部工)を眺める(図6)。筆者は構造の専門家ではないが、人道橋にしては、しっかりとしている。岩ヶ谷さんに尋ねると、近い将来、橋の上に建物が建つらしい。その時に備えた構造で造られていたのだ。


橋上建築

思えば、泉さんから電話がかかってきて、「橋の上に建築を建てた例はないかな?」と聞かれたことがあった。筆者は建設技術展近畿での人気イベント「橋梁模型製作コンテスト」に関わっており、何か手がかりを掴めないかと思ったらしい。

6 桜城橋の側面
橋の上に建物が建つ橋として、真っ先に思いついたのは、イタリアにある、ベネチアのリアルト橋とフィレンツェのポンテヴェキオ(図7、8)。だが、これらは昔に造られているし、ニーズも制度も文化も異なるため、実現に向けたお手本としては、少々距離が大きい。

7 リアルト橋(ベネチア) 8 ポンテヴェキオ(フィレンツェ)

近いお手本になりそうな切り口として、現代の我が国ではどうだろうか。過去の体験を辿ってみると、阪神高速3号神戸線の京橋PAや5号湾岸線の中島PAは道路橋の上に休憩施設が建っている。人道橋と高速道路では、ニーズも規模も違うが、国内事例はゼロではない、ということは伝えることができた。

橋の上は、風がよく抜けるので強度や安全性の検討は言うまでもないが、制度は人間が創作するものだから、絶対悪なものでない限り、世の中の変化に応じて見直せばいい(とはいえ、実現するのは本当に大変だけどね)。


天下の道

桜城橋から中央緑道を上がり、籠田公園に着いた。中央緑道も、籠田公園も、後ほど紹介するQURUWAプロジェクトのひとつとして、それぞれ、2021年、2019年にリニューアルオープンした公共空間である。

桜城橋、中央緑道、籠田公園を結ぶ道は、「天下の道」と名付けられている。

中央緑道は、かつては、道路中央の緑地帯にヒマラヤスギが列植されており、緑豊かであったが、あくまで自動車の通行がメインであり、緑地帯の中に立ち入る雰囲気ではなかった。この空間を、誰もが楽しく安全に歩ける道であり、広場でもあるような「みちひろば」空間をコンセプトとして、再整備されている。

道路空間の両側に配置されている歩道・車道の幅員を少し減らして、緑道の幅員を増やすことにより、中央に広場空間を確保している。乙川からの河岸段丘の高低差を感じる場所であり、乙川の眺めを確保しつつ、歴史を伝えるヒマラヤスギを残すだけでなく活かしながら、階段状のテラスなどの立体的な居場所が設けられている(図9)。

9 天下の道

籠田公園でランチ

籠田公園は、「つどい・つながり・つづく」をコンセプトとして、芝生広場、屋根付きの休憩スペース(チェアとテーブルは動かせる!)、噴水や遊具、トイレ、電源設備、2つのステージなどが整備されている(図10)。北西のコーナーには、旧東海道の常夜灯が設置されているが、ここから公園への動線は、土地が盛り上がり、切通しとなっている。ランド・アートのようで素敵すぎる。

wagamama house(わがままハウス)という、かつて家具店だった空き家をリノベーションしたお店で「旬の野菜たっぷり 日替り弁当」でテイクアウトしていただく(図11)。おいしい。

11 旬の野菜たっぷり日替り弁当

ここで、中川さんが来られて、バトンタッチ。

10 籠田公園

今回、籠田公園には、昼、夕方、そして夜と、いくつかの時間帯に訪問した。金曜日だからか、良い天気だからか、夕方は様々な年代の人々が過ごしていた。夜になっても、人々は思い思いに利用していた。子ども連れのお母さんは子どもを遊ばせながら他のお母さんと井戸端トーク、高校生たちは休憩スペースで勉強や雑談するなどして(図12)。

12 籠田公園夜景

QURUWA

QURUWA(くるわ)とは、名鉄東岡崎駅、乙川河川緑地、桜城橋、中央緑道、籠田公園、りぶら(図書館交流プラザ)、岡崎公園など公共空間の拠点を結ぶまちの主な回遊動線のことを指している。この一連の動線が、地図上で「Q」の字に見えること、かつての岡崎城跡の「総曲輪(そうぐるわ)」の一部と重なることから名付けられた。

このQURUWAに位置する豊富な公共空間を活用して、パブリックマインドを持つ民間(事業者)を引き込みつつ、公民連携プロジェクト(QURUWAプロジェクト)を実施することで、その回遊を実現し、さらには波及効果として、まちの活性化、すなわち、暮らしの質の向上とエリアの価値向上を図ろうとする、QURUWA戦略が動いている。


康生通り

籠田公園の西側に平行して延びる康生通り、連尺通りは規制緩和による指定団体を作って、オープンカフェ、広告板の設置など道路空間を使った民間の取組みの事業化と、それにあわせた道路空間の再構築を含めたプロジェクトが進む(図13)。

13 康生通りのファーニチャ

中川さんに案内してもらいながら、リノベーションされたお店や歩道に置かれたベンチに出会うことができた。中でも、古いカメラ屋をリノベーションしたホテルは、事前のネット検索では見つからず、新鮮であった。次回は是非。

天野さんが来られて、バトンタッチ。


誓願寺

籠田公園の東を歩くと、石材店が並んでいる。町名も「花崗(みかげ)町」とある。この辺りには、大きな灯篭が置かれてあったり(図14)、寺が数多く点在している。

誓願時に入る。参道は土壁がむき出しで異様だ。この境内にある「虎石」は、徳川家康が幼い頃、弓の稽古をした際に腰をおろして休んだと伝えられている。そんな由緒ある石なのだが、草陰にひっそりと佇んでいた(図15)。境内の西側から裏にかけては、墓地であるが、ここに、巨大な墓とも灯篭とも思えるような石像が置かれていた(図16)。周りには、墓石が並べられている。

14 巨大な灯篭 15 虎石
16 謎の石像

宇宙から降ってきた、といわれてもおかしくない姿である。頂には、ススキのような草がなびいている。背景は夕焼けがかった空であり、余計にシンボリックである。何なのか、わからず仕舞いであったのだが。

それにしても、岡崎がこれほどの石材の町であることは初めて知った。


松應寺前横丁

籠田公園でレンタサイクルを借りて、天野さんがプロジェクトに関わった松應寺前横丁に向かう。

松應寺は、徳川家康の父・松平広忠菩提のために創建した寺であり、松應寺前横丁は、江戸時代は門前町、明治時代後期から昭和中期頃までは花街として栄えたエリア。

長さ40mほどの木造アーケードが隙間なく建てられた建物群とともに、レトロ感たっぷりである。時代に取り残された感じがするのはその風景だけでない。この地区の少子高齢化が、岡崎市の平均以上に進行しており、お寺と町内会、NPO法人岡崎まち育てセンター・りたの職員らにより、町おこしを始めた(図17)。

17 松應寺前横丁

にぎわい市(イベント)、老朽化した空き家の改修によるにぎわい作りと共に、少子高齢化の課題と向き合う包括ケア会議を運用している。


岡崎城

翌朝、岡崎城までゆるりと散歩した(図18)。近年、次のことがわかったそうだ。

  • 岡崎城の城郭は、江戸、大阪、姫路城に次いで、4番目の規模である。
  • 乙川リバーフロント計画での工事で河川敷を掘り起こしたところ、石垣の一部が発見された。石垣の長さは約400m、高さは5.4mもある。

これらが21世紀に入ってからの発掘調査で明らかになったことを思えば、石垣はまだどこかにあるのかもしれない。一方、土の中に埋もれていたとしても、上の2つの事例が長年そうであったように、いつまでも見つけてもらえないのかもしれない。

QURUWAの発掘と推進が楽しみである。

18 岡崎城


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(Up&Coming '22 春の号掲載)
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