秋田北部へ
田沢湖から秋田北部へ向かう。本来は国道341号から八幡平を抜けて鹿角市に出たかったが、翌週まで冬季通行止め期間中であった。そこで、国道105号で大館市に出ることになった。秋田県のほぼ中心部を北上していく。
雪が残る、のどかな里山の風景がどこまでも続く。マタギの里、阿仁町もこの辺りである。並行する秋田内陸線(秋田内陸縦貫鉄道)の音が聞こえてきた。鄙びた一両車両を期待したが、現代的で、さらに連結された観光列車「秋田縄文号」であった(図1)。
大館に着いた。ここからは、米代川沿いを下っていく。
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1 秋田縄文号 |
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忠犬ハチ公と青ガエル
大館といえば、きりたんぽ、曲げわっぱ、比内地鶏、秋田犬と思い浮かぶ。そして、秋田犬といえば、忠犬ハチ公である。
大館で生まれたハチは、東大農学部の上野英三郎博士のもとへやってきた。しかし、上野博士はハチと暮らし始めてから間もなくして、大学で急逝してしまった。ハチは、送り迎えをしていた渋谷駅で帰らぬ上野博士を待ち続けた。
忠犬ハチ公の銅像は、大館駅前の秋田犬の里にある(図2、3)。秋田犬の里の建物自体、大正時代の渋谷駅をモデルとして建てられた。
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2 秋田犬の里 |
3 忠犬ハチ公像(大館) |
さらに「青ガエル」の名前で親しまれ、渋谷駅前に観光案内所として使われていた、元・東急5000系電車が、秋田犬の里にやってきた(図4、5)。ハチは大館から渋谷へ、青ガエルは渋谷から大館へ。
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4 青ガエル(大館) |
5 渋谷の忠犬ハチ公像と青ガエル(当時) |
秋田犬の里では、勝大(ショウダイ)に出会えた。ロシアのフィギュアスケート選手、ザギトワさんに贈られた秋田犬・マサルのきょうだい。
実は、筆者のスマホの背面には、みんなで写真撮影する際にスマイルしやすいよう、愚犬(コーギー)の笑顔が貼り付けてある。スマホで写真を撮ろうとしたら、勝大は愚犬と目が合ったようだった(図6)。大阪から連れてきたいね。
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6 勝大 |
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縄文遺跡
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7 伊勢堂岱遺跡のルート上に作られかけた橋脚 |
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2021年7月、ユネスコは「北海道・北東北の縄文遺跡群」を世界文化遺産に登録した。
北海道6遺跡、青森県8遺跡、岩手県1遺跡、秋田県2遺跡の合計17遺跡は、1万年以上にわたって、採集、漁労、狩猟を営まれた農耕以前の人びとの暮らしや精神文化を今に伝えている。
そのひとつ、北秋田市の伊勢堂岱遺跡(イセドウタイイセキ)は、最大で直径約45メートルにもおよぶ、4つのストーンサークルによって構成されている。実はこの遺跡は、大館能代空港へのアクセス道路建設に向けて調査している時に発見された。
アクセス道路のルートは変更され、ホンモノの遺跡は保存できた。今となっては、作りかけの橋脚もなんだか遺跡っぽい(図7)。
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バター餅
日本三大美味鶏とうたわれる比内地鶏の親子丼と蕎麦をいただいてから(図8)、バター餅を探す。気になっていた北秋田市のローカルスィーツ。もち米を蒸してついた餅に、バターや卵黄、砂糖を折り込んである。
やはり本店に行ってみようと、鷹松堂へ(図9)。バター餅が6キレ並んでおり、ぷにゃぷにゃと柔らかく、食べ出したらとまらなかった。味や食感は、お店によって違うらしいので、食べ比べてみるのも楽しい。
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8 比内地鶏の親子丼 |
9 バター餅 |
綴子(ツヅレコ)とよばれる地区には、ギネス認定された世界一の大太鼓がある(図10)。牛の一枚皮で作られ、直径3.71mもある。
この地区には、上町(ウエマチ)と下町(シタマチ)があり、長年、毎年行われる綴子大太鼓祭りで競っていたようだ。当初は太鼓を奉納する速さを競っていたが、競争が激しくなりすぎて、一年交代となった。すると今度は、太鼓の大きさを競うようになった。平成元年(1989年)のギネス認定が区切りとなった。
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10 世界一の大太鼓 |
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寒風山
八郎潟は田んぼがどこまでも続く。かつては、わが国で琵琶湖に次いで2番目に大きな湖であった。東経140度、北緯40度が交わり、経度と緯度が10度単位で交わる、日本で唯一の経緯度交会点がある(図11)。東を望めばニューヨーク、西には北京、ナポリ、マドリード。北にはロシア・ハバロフスク、南にはオーストラリア・キングストン。
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11 経緯度交会点 |
男鹿半島の付け根、寒風山に登ろう。360度のパノラマが一望できる火山。南を望めば、男鹿半島から秋田市へつづく美しい海岸線、向こうには鳥海山。西は、男鹿半島の本体、ナマハゲ発祥の真山、入道崎(図12)。北には、白神山地。東には、八郎潟、森吉山、そして八幡平。
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12 寒風山から男鹿半島全 |
ジオサイト
寒風山から、なまはげラインを進めば、今夜の宿がある男鹿温泉郷に近いのだが、遠回りしていこう。男鹿半島の海沿いは山が迫り、奇岩怪石や、変化に富んだ海岸線が連なっている。
鵜ノ崎海岸は、干潮時には、海岸の岩肌が露出して浅瀬が続く。着いた頃は、干潮で、風はなく、そして、夕暮れがほど近い頃(図13)。水面が鏡のようであり、「秋田のウユニ塩湖」といわれるのは納得できた。猛吹雪に見舞われ、夕日などまったく期待できなかった昨日の今ごろが嘘のようだ。
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13 秋田のウユニ塩湖 |
翌朝は、男鹿半島の最北端、入道崎へ(図14)。ゴロゴロとした岩が連なる荒々しい断崖と、地上に広がる穏やかな草原のギャップが面白い。白と黒の縞模様で描かれた入道崎灯台は、一般人も見学できる(図15)。
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14 入道崎 |
15 入道崎灯台 |
近くには、噴火の後の爆裂火口に地下水がたまってできた、マールと呼ばれる火山湖が点在する。一の目潟、二の目潟、三の目潟と呼ばれる(図16)。二の目潟の先にある、戸賀湾も噴火口である。それにしても、とにかく静かである。
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16 一ノ目潟 |
ナマハゲ
ナマハゲは、大みそかの夜、男鹿半島で広く行われる民俗行事。「泣く子はいねぇが」「悪い子はいねぇが」子供にとってはたまらない。
ナマハゲの由来は、髪が薄い訳ではないらしい。仕事もせずに囲炉裏で寝転がっていると火斑(ナモミ)と呼ばれる火ダコが手足にできてしまう。そのナモミを出刃包丁ではぎ取る「ナモミはぎ」がなまって、怠け心を戒める「ナマハゲ」になったといわれている。はぎ取ったナモミは、左手に持つ桶に入れる。
なまはげ館では、各集落のナマハゲが勢揃い。材料は千差万別であり、お面は杉、ざる、髪は馬の尻尾、麻、海藻、人毛など。勢ぞろいしている展示は圧巻であった。どの面も怖い顔をしているが、キュートだと感じるものもあった(図17)。
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17 なまはげ館 |
ゆかりの地、真山神社へ(図18)。仁王門には奉納された巨大出刃包丁が飾られている(図19)。受付に置かれたナマハゲは、半世紀前に使われていたもの。杉の木で作られており、髪は網でできている。男性用は金色、女性用は銀色(図20)。コロナに負けてはならない。
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18 真山神社 |
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19 仁王門 |
20 真山神社のナマハゲ |
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