中津川へ
2023年もどうぞよろしくお願いします。今回は、世界ラリー選手権(WRC)の日本ラウンドである、フォーラムエイト・ラリージャパンの開催市町のひとつ岐阜県中津川市をドライブします。2022年のフォーラムエイト・ラリージャパンにおいて中津川では、保古の湖と根の上湖の2つの湖を有する標高930mの根の上高原でスペシャルステージが開催されました。
日本最大級のピラミッド
前号「恵那:棚田」で最後に立ち寄ったのは恵那峡・大井ダム。蛭川(ひるかわ)と呼ばれるこの地域は、日本三大鉱物の産地のひとつに数えられる。地元産の花崗岩(みかげ石)で造られた日本最大級のピラミッドへ(図1)。
このピラミッドは、エジプト・クフ王のピラミッドの10分の1スケールで作られており、地下は迷路となっていた(図2)。
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1 日本最大級のピラミッド |
2 ピラミッドの地下迷路 |
総延長が360mもある巨大な迷路は、思った以上に手ごわかった。床・壁・天井は石で囲まれており、薄暗く、大した目印はない。迷路なので行き止まりは付き物だが、「こっちかな?」と歩いた末に行き止まりに何度も何度も出会う。地図もなく、戻ることも簡単ではなく、本当に脱出できるのか、不安になった。たまたま、同じペースで迷路を歩いていたファミリーと途中から団結してゴールを目指すことになった。
出口の光が見えた時の子供たちの歓声は忘れられない。
加子母
中津川市は東西28kmに対して南北49kmと、南北に細長い。東隣は長野県。
これから、中津川市北部の加子母(かしも)という地区に向かう。中津川から下呂につづく裏木曽街道(国道257号)は、サルスベリが満開であった。この、東濃地域の東部は裏木曽(うらきそ)と呼ばれる。
加子母は東濃ひのきと呼ばれる、良質のヒノキが古くから生産されてきた。江戸時代には尾張徳川藩の飛び地領として、森林が保護されてきた。
現代でも国有林とされ、さらには神宮備林と呼ばれる伊勢神宮の式年遷宮に必要な用材が供給される地区もある。東濃ひのきはまた、姫路城の昭和の大修理で西心柱にも使われている。残念ながら、運搬中に折れてしまい、上部には兵庫県・笠形神社の御神木とつなぎ合わせた「運命の木」となって一本の柱になった。
かしも明治座
地歌舞伎とは、プロの役者ではなく、地元の素人役者たちによって演じる歌舞伎のこと。中津川は地歌舞伎が盛んな地域であり、現在でも3つの芝居小屋が残っている。尚、東濃の地歌舞伎は勤労意欲を削ぐ対象として、西濃の花火と共に抑圧された時代もあったそうだ。
かしも明治座は、現存する芝居小屋のひとつで、明治27年(1894年)に地元の人々によって建てられた。「岐阜県重要有形民俗文化財」に指定されている。平成27年(2015年)の保存改修工事により、板葺き石置屋根という120年前の姿に復元された(図3)。
現地の方に案内していただく。建物に入り、パッと目にとまるのが、ブルーの幕(図4)。これは「娘引き幕」と呼ばれ、かしも明治座が創建された当時、各戸の主婦によって制作されたもの。各家の屋号の入った模様が描かれている。
舞台に向かって左側にあるのが本花道で、七三の位置には切り穴(スッポン)が設けられている(図5)。よく見ると、板の模様が少し違う。スッポンとは、この切り穴から役者が登場するさまが、何だかスッポンのようだから、そう呼ばれる。舞台に向かって、右側にあるのが仮花道。
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4 娘引き幕 |
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3 かしも明治座よりまちなみ |
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5 かしも明治座 内部全景 |
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6 葺き替えの屋根板 |
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本花道と仮花道の間は、平場と呼ばれ、客席を移動するための縦横の細い板材「歩み」が渡してある。
舞台から裏に上がると、楽屋。有名人の落し書きが多数。中でも、十八代目中村勘三郎さん筆は丁寧にラミネートされていたのが印象的。地下には、廻り舞台と奈落(ならく)、そして、七三へ続く通路があった。帰り際に、葺き替えの屋根板を寄附させていただいた(図6)。
昼食は、五平餅と山菜そばのセット(図7)。昨日、恵那・岩村でいただいた五平餅は団子型だったが、本日はお馴染みのわらじ型。
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7 団子型の五平餅 |
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付知峡と夕森渓谷
中津川市南部へ向かいつつ、裏木曽県立自然公園にある渓谷を巡る。
まず、付知峡(つけちきょう)は、加子母の東にある秘境。「森林浴の森日本100選」「岐阜県の名水50選」「飛騨・美濃紅葉33選」に選ばれている。
入り口には、トマトとキュウリが天然水で冷やされていた(図8)。向かいの店では、森林を眺める窓際に、流しそうめんが用意されており、賑わっていた。
そこから階段を下りていくと、観音滝に出会う(図9)。この滝の水量はさほど多くはないが、真横から眺めることができる。そして、観音滝の流れ落ちた先に不動滝がある(図10)。こちらは、狭いところを流れ落ちるため水の勢いがすごい。3つ目の滝・仙樽の滝へは、吊り橋を2回渡っていく(図11)。
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8 天然の冷蔵庫 |
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9 付知峡 観音滝 |
10 不動滝 |
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11 吊り橋 |
次に、夕森渓谷は、標高700mに位置しており、キャンプや川遊びが楽しめる。紅葉も有名で、付知峡と同様に「岐阜県の名水50選」に選ばれている。「竜神の滝」は水量が豊富で、白竜のような姿形も美しい(図12)。滝を鑑賞しやすいように遊歩道が整備されている。
坂下の町まで戻ってきた。ここは、木曽川が大きくうねっているところ。河岸段丘を感じ取ることができる。
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12 夕森渓谷竜神の滝 |
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馬籠宿
中津川市内は、中山道が約20kmにわたって東西に延びる。江戸から数えて43番目の馬籠、44番目の落合、45番目の中津川の3つの宿場町があった。中津川の次は、恵那の大井宿である。
馬籠宿(まごめじゅく)は、木曽11宿の最南端に位置し、中津川市の東端に位置する。中山道内でも珍しい、傾斜地に設置された宿場町(図13)。坂を上ると、恵那山が見えてきた(図14)。
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14 恵那山 |
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13 馬籠宿 |
「木曽路はすべて山の中である」と書いた島崎藤村の出身地であり、江戸時代の面影を残す集落。日中は、観光地で賑わっているのだろうが、朝は、とても静かであった。
馬籠に来たのは恐らく、高校の修学旅行以来かもしれない。ただ、当時の馬籠の記憶がなぜか思い出せない・・・高山、上高地など、他の訪問地は覚えているのだが・・・当時、晴れていたこと、最後の訪問地だったことは覚えているが・・・
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ただ当時、馬籠が長野県だったことは覚えていた。しかし、今は岐阜県中津川市だ。調べてみると、2005年に長野県木曽郡山口村は、県を越えた合併(越県合併)により、岐阜県中津川市になったそうだ。越県合併自体が珍しく、46年ぶりだったそうだ。
落合の石畳
馬籠から落合の石畳に向かう途中、棚田が目の前に広がり、恵那の笠置山が望める(図15)。偶然ながら、天使の梯子にも出会えた。信州サンセットポイント100選のひとつらしい。尚、越県合併の話題に戻ることになるが、信州サンセットポイント100選が作られたのは1999年であり、当時この地は長野県だったから選ばれたのだろう。
信濃と美濃の国境の標石を過ぎると、落合の石畳である(図16)。馬籠宿から落合宿に至る途中は、十曲峠(じっきょくとうげ)の急な坂道であり、雨が降ってぬかるむのを防ぐために自然石を敷きつめて整備された。いわば、当時の舗装道路である。石畳は、薄暗い木立の中を縫うように続いており、昔の旅人に出会ったとしても、何ら違和感のない風景である。
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15 信州サンセットポイント100選 |
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苗木城跡
苗木城は、中津川で訪れるべきスポットのラスボスかもしれない。中津川市街の北、木曽川右岸に位置する。急峻な岩山という限られた土地を利用して、天然の岩と人工造成した石垣を巧みに組み合わせて城郭が作られた。
駐車場から歩いていくと、城跡の全貌が目に飛び込んでくる(図17)。そして、天守跡に近づくにつれて、巨大な岩の大きさを実感する(図18)。
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17 苗木城跡 |
山頂には、いくつもの巨大な岩を取り囲むようにして、懸造り(かけづくり)の天守があったといわれる。懸造りは、京都・清水寺や姫路・圓教寺でも使われている伝統工法だ。
天守があった場所には現在、展望台が建てられており、眼下に木曽川、正面に恵那山や中津川市街が見渡せる(図19)。
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19 苗木城跡展望台より |
木曽川に架かる赤い玉蔵橋の手前に、より小さな赤い橋梁が見える。旧北恵那鉄道(現・北恵那交通)の木曽川橋梁だ。
北恵那鉄道とは、木曽川に我が国最初の発電用ダム・大井ダムを建設する際、付知川から筏を使っての神宮備林の輸送ができなくなってしまうことから、電力王・福沢桃介(福沢諭吉の養子)がダム建設の見返りとして建設した鉄道である。開業は大井ダムと同時期の大正13年(1924年)、昭和53年(1978年)に廃止された。
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中津川駅
中津川駅に戻ってきた。山紫水明を長らく眺めてきたから、鉄筋コンクリートのビルは久しぶりである。それでも、ビルの表情は脇役、背景の自然が主役に思えた(図20)。中津川は、栗きんとんの発祥の地といわれ、秋になれば、栗きんとんをはじめとする栗菓子の食べくらべを楽しみにしている人も多いそうだ。
現在工事中のリニア中央新幹線の「岐阜県駅(仮称)」は中津川市内に位置する。開通すれば、東京・品川まで60分程度、名古屋まで15分程度といわれる。楽しみだ。
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20 中津川駅前 |
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