はじめに    福田知弘氏による「都市と建築のブログ」の好評連載の第58回。毎回、福田氏がユーモアを交えて紹介する都市や建築。今回は豊田の3Dデジタルシティ・モデリングにフォーラムエイトVRサポートグループのスタッフがチャレンジします。どうぞお楽しみください。
Vol.58

豊田:toyocba
  大阪大学大学院准教授 福田 知弘
  プロフィール    1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学准教授,博士(工学)。環境設計情報学が専門。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)国際学会 フェロー、日本建築学会 情報システム技術委員会 幹事、NPO法人もうひとつの旅クラブ 理事など。著書に、都市と建築のブログ 総覧(単著)、VRプレゼンテーションと新しい街づくり(共著)、夢のVR世紀(監修)など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/

豊田へ

フォーラムエイト・ラリージャパン2022の地を巡る旅、第3回は豊田へ。

豊田市は、1951年の市制発足時には挙母(ころも)市であったが、「クルマのまち」に成長したことなどから「豊田市」に市名変更した。以来、周辺の自治体を編入して、現在では愛知県下一の面積918.3㎢である。

筆者は、2021年秋と2022年春に豊田市に訪問した。2021年秋は、フォーラムエイト・セントラルラリー2021と、フォーラムエイト・ラリージャパン2022の記者発表が行われた時期である(図1)。

1 フォーラムエイト・セントラルラリー2021

豊田市美術館

豊田市美術館は、豊田市街を見渡す高台に位置する城跡に建っており(図2)、坂を上ると豊田スタジアムと恐竜のような豊田大橋が見える(図3)。

2 豊田市街の眺め 3 豊田大橋

設計は、建築家・谷口吉生とピーターウォーカー(ランドスケープ)(図4)。建物は、水平垂直のラインが美しく、国内外の近代~現代の美術品、漆工芸などが展示されている。敷地内を歩くと、現代的な建物とは対照的な茶室が佇んでいた。抹茶と和菓子をいただく(図5)。

2階の彫刻テラスで、バーモングリーン色という緑の石で覆われたキャノピーと自撮り(図6)。この写真、どうやって自撮りしたか、お判りでしょうか?ダニエル・ビュレンの作品である鏡張りの小屋の前で、スマホにタイマーをかけて、ジャケットのポケットにスマホを忍ばせて・・・

5 茶室にて
4 豊田市美術 6 彫刻テラスで自撮り

toyocba(とよしば)

豊田市は、都心地区で多様な活動や豊かな風景が複数の公共空間で生まれ、人のいる風景が連続するようなまちなかを目指している。そのため、公共空間の活用「つかう」と再整備「つくる」を両輪として、都心地区の整備を進めている。利用者となる組織と行政とが適切に役割分担して、自由と責任の下で小さな自治運営が持続的にできることを目指して「あそべるとよたプロジェクト」がはじまり、社会実装されてきた。

東口まちなか広場は、豊田市駅の目の前にあり、アイデアやチャレンジの受け皿となる開かれた場として整備が進められている。駅前ビルを解体撤去して、多様な人々が集い、交わり、アイデアと愛着が生まれ、そして、育っていくための拠り所である。

2019年9月、先行プロジェクトとして、拠点施設、芝生広場、舗装広場がオープン。「toyocba(とよしば: Toyota Creative Base Area)」としてお馴染みである(図7)。toyocbaでは、様々な運営者によりイベントが日々開かれているが、運営者の手間を減らすべく、木製テントは、とよしばの駅前工作室でDIYしたものを貸し出している。


7 toyocba(とよしば)

toyocbaには、天然芝と人工芝の広場があり、その間に細長い建物が建つ。内部には、カフェではなく、なんと、うどん屋「〇七商店(まるななしょうてん)」が入っている(図8)。

グーグルストリートビューで、豊田市駅東口に行ってみると、2012年以降の写真が断続的に閲覧できる。

2014年2月の時点では、かつて存在した駅前通りの風景のままであるが、2015年10月、「toyocba」の隣の敷地(現・複合施設KiTARA)が解体撤去されている。2017年7月、KiTARAが建設中である。2018年5月、KiTARAは完成しており、「toyocba」敷地のビルが解体撤去中である。尚、KiTARAオープニング時には、フリースタイルモトクロス(FMX)のデモンストレーションが公道で行われた(日本初)。2019年7月、「toyocba」は建設中。2020年10月、「toyocba」は完成している。

このように、定点比較してみると、駅前の風景は一変したことがわかる。

8 肉系讃岐うどん

新とよパーク

toyocbaのある豊田市駅と愛知環状鉄道・新豊田駅は、ペデストリアンデッキでつながっており、「あそべるとよたプロジェクト」の一環で「橋の上大盆踊り大会」も開催された。

新豊田駅の東口駅前広場は、「新とよパーク」と名付けられており、ストリート・スポーツ等の目的性の高い利用を誘導する広場として位置づけられた。広場利用の担い手候補となる方々と、設計や運営、利用ルールについて、2年がかりで検討し、広場はリニューアルされた(図9)。

9 新とよパーク

「新とよパーク」の入り口には、「ミライのフツー」を作り出そうと、この広場でできることを伝える案内板がある(図10)。「ボール遊び」「ストリート・スポーツ」「火の使用」「音楽演奏」「イベント」「出店・販売」が、ルールを守った上で「できる」。

日常見かける公園では、「・・・禁止!」とやってはいけない禁止用語ばかりが書かれており、利用者は悪者なのかと感じてしまうのだが、「新とよパーク」では使用目的が明確化された上で、肯定的に書かれてある。

バス「とよたおいでんバス」に乗って、足助に向かう。丁度、紅葉のシーズンであり、路線バスは大渋滞を避けるため「午前中のみ運行」というアナウンスがあった。

まだ午前中ではあるが、豊田市駅方面からの道路と国道153号線が合流する「追分」という交差点の辺りから、ノロノロ運転になったので、途中で下車して、香嵐渓までウォーキング。

香嵐渓は、飯盛山一帯に4000本のモミジが植わっている。古くからモミジが植えられていたが、100年ほど前、大正の終わりから昭和のはじめにかけて、観光地づくりのために地元の人々がモミジを植える活動を行ったお陰で、現在の風景ができあがっている。
10 新とよパークの案内板

待月橋、香嵐渓広場、巴橋あたりは有名な撮影スポットであり、かなり賑わっていた。筆者は群衆を避けながら歩いたため、モミジを眺める人々を遠巻きに楽しんだ(図11)。

11 香嵐渓

足助の町並み

足助は、尾張・三河と信州・塩尻を結ぶ伊那街道(三州街道)の重要な中継地であり、物資を運搬する要所として栄えた商家町である。足助川沿いの段丘上に、江戸時代後期~昭和初期までに建築された家々が残され、町並みが形成されている。

旧田口家住宅は、江戸末期以前の建物。街道沿いに建つ平入2階建ての主屋とその背後に連なる土蔵が当時の姿を残す。旧田口家住宅の隣には、妻入りの家屋が連続している(図12)。

街道から小路に入れば、段丘の起伏に沿って敷地いっぱいに土蔵や石垣が建ち並んでいる(図13)。

12 旧田口家住宅 13 小路

足助牛乳で一服してから、バス停へ向かう(図14)。真弓橋からは、足助川沿いに設けられた石組み階段や川に張り出した座敷に出会えた(図15)。

14 足助牛乳 15 足助川沿いの町並み

足助の町並みは、2011年(平成23年)に愛知県で初めての重要伝統的建造物群保存地区に選定された。すなわち今から11年前であり、全国を見渡すと都道府県の中では、愛知県は遅いほうである。一方で、山形県、東京都、神奈川県、熊本県の4都県では選定地区がまだ1件もない(令和3年8月現在)。


松平郷へ

春に訪問した様子を。
豊田市駅前でtoyocbaに再会してから、松平郷へ向かう。半年たって、toyocbaに残されていた古いビルが取り壊されており、見通しがよくなった。今朝は、天然芝に座布団を敷いて準備が進められていた(図16)。どんなイベントが開催されるのだろう?

16 toyocba 2022春 17 桜色

とよたおいでんバスに30分ほど揺られる。丁度、桜のシーズンであり、道路を挟んで向こう側のバス停そばには満開が近い桜、バス停のベンチ、そして、バスを待つ女性の服装もまた、ピンク色であった(図17)。

松平郷は、豊田市街から東10kmにある山里、徳川家のルーツといわれる松平氏の発祥の地である。

松平郷

松平東照宮の天井を見上げると、108枚の天井画(図18)。徳川家康公400年祭記念大会メモリアル事業で、漆芸家・安藤則義氏より描かれた。松平郷で見られる草花が多く描かれている。

ここから、1kmほど山道を歩き、松平家墓所を経て、松平郷展望テラスへ。豊田市内、名古屋駅周辺の高層ビル、伊勢湾の向こうには鈴鹿山脈が望める。

高月院は、松平氏の菩提寺である。

東側に地蔵山が見える(図19)。高月院に加えて、松平氏館跡、松平城跡、大給城跡の計4ケ所は、初期松平氏の様相を伝えていることから、国指定史跡「松平氏遺跡」として2000年に指定されている。

18 松平東照宮
19 高月院と地蔵山

実は「街道をゆく」で司馬遼太郎さんが松平郷を訪問された時、仰天されていたので、どんなところだろうか、と半信半疑でやってきたのだが、静かで自然豊かで素敵な場所であった。ミズバショウやツクシの群生、カタクリの花なども見事であった(図20)。

20 松平郷の草花

チョンボの繰り返しで豊田市駅へ

松平郷から岡崎に向かう。松平郷は豊田市のはずれにあり、岡崎市に近い。そのため、この辺鄙な場所からタクシーで岡崎に向かおうと、タクシー配車アプリを起動させた。大阪で配車アプリを事前チェックした時、松平郷の辺りはタクシー配車アプリのエリア内に思えたのだが、現地で呼び出そうとすると、タクシーのアイコンは地図上に表示されるものの、地図上で動いているタクシーと思われる車が実際に近づいてくると農作業を終えた軽トラだったりした。一応、手を挙げてみたが、やはり、タクシーではなかった。結局のところ、タクシー配車サービスのエリア外地域であり、タクシーは使えない、となった。最初のチョンボである。

では、路線バスはどうかと調べてみた。今朝、豊田市から松平郷に乗ってきた、とよたおいでんバスが、さらに東の大沼まで出ている。大沼に向かう途中の切二木(きぶたぎ)というバス停で下りて、30分ほど待てば、今度は大沼を出発した名鉄バスが東岡崎駅に行くので、岡崎にたどり着けそうだ。切二木バス停を出発するとひとつ目の信号を左折して、岡崎に向かうルートである(図21)。

松平郷から、とよたおいでんバスに乗り込み、切二木バス停で下りて、30分ほど待つこと、予定の12時12分にバスは大沼方面からやってきたので、乗り込んだ。この付近のバスは、2時間に1本ほどしか通っておらず、バスに確実に乗り込むことは何をおいても重要だ。乗ってしまえば、やれやれである。

ところが、である。バスは、最初の信号で左折せず、直進して、松平郷へ向かっている。車内をよく確かめると、名鉄バスではなく、とよたおいでんバスであった。スマホで時刻表を調べてみると、切二木バス停に到着し出発するバスは、なんとまぁ、とよたおいでんバスも、名鉄バスも12時12分であった。まさか、同時刻とは。とよたおいでんバスが先にやってきて、迷わず、乗り込んでしまったのである。二度目のチョンボである。

この時の脱力感は今でも覚えている。バスは乗客のそんな気持ちはいざ知らず、先ほど訪問したばかりの松平郷をすぅーと通り過ぎていく。しばらくして、「でもまぁ、このまま乗っていると、豊田市まで連れて行ってくれるのだからいいのでは、これも旅!」という開き直った自分もどこかにいた。
21 切二木バス停

岡崎・殿橋テラス

豊田市駅に着くと、とよしばの賑わいに出会うことができた(笑)。名鉄を乗り継いで岡崎へ急ぐ。

岡崎では、「都市と建築のブログ Vo.57 岡崎:QURUWA」でご紹介した殿橋テラスで、「River Port Village」という構造物が期間限定でできあがっていた。そこには、店舗だけでなく、まちづくりプロジェクト「One River, QURUWA」を紹介する展示ブースも設けられていた。乙川の堤防沿いと河川敷の高低差の間で、大勢の方が想いおもいに楽しんでいた(図22)。

22 岡崎・River Port Villageで再会

最後に、toyocbaをはじめとする豊田市の取組みについては、拙著「都市と建築のブログ 総覧」に特別寄稿して頂いた、泉英明さんが率いる(有)ハートビートプランが豊田市のプロジェクトに長年関わっておられる。そこで、面白い取り組みを実践されている方として、栗本光太郎さん(豊田市役所)、神崎勝さん(toyocbaの管理人・ゾープランニング)に案内していただいた。



前ページ インデックス 次ページ
(Up&Coming '22 盛夏号掲載)
戻る
Up&Coming

LOADING