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下の2枚の絵のうち、左側の絵は大正関東大震災の約半年前に当地をたまたま訪れた東京大学地質学科の石﨑順吾氏が描いたもので、右側の絵は、震災後の翌年1月に同氏が当地を再訪し、同位置から描いたもの。(東京大学総合研究博物館所蔵) 震災後に描いた絵には(当然のこととして)野島埼灯台の姿が無い。また前面の海が陸地化していることにも気付かされる。
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野島崎から東に約4キロメートルの距離にある乙浜漁港では大正関東大震災による地盤隆起で港内の泊地、航路に漁船が出入りできなくなり、浚渫工事などの災害復旧を余儀なくされた事例も生じている。右の写真は当時の工事中の写真、昭和7年又は8年撮影と推測(大滝工務店提供)。 なお乙浜漁港については、元禄地震で、隆起した海側の岩礁が格好の防波堤になり、避難港として整備されてきたという歴史も持っている。
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東京湾入口にある館山湾の北側に位置する館山市船形漁港はカツオなどの生餌供給基地として近世から栄えており、安政の1860年代には鋸山で産出される房州石を使って防波堤を建設するなどして港づくりが始まっている。 大正関東大震災で当地域は約1.5メートルの地盤隆起が生じ、そのため当初の防波堤は用をなさなくなったが、災害復旧工事で泊地や航路を浚渫し、突堤を建設して本格的な漁港づくりが再開された。 このように房総半島南部には、元禄、大正と約200年の間に2度発生した大地震で地盤が大きく隆起したが、その痕跡を示す岩層が館山湾南側の西崎海岸の波打ち際に横たわっているおり身近に観察できる。
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<参考文献> 「ちばの川訪ねある記―水辺の自然・文化・土木遺産―」ちば河川交流会編 |
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(Up&Coming '24 盛夏号掲載) | ||||||||
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