Vol.11

小矢部川

富山県

大伴家持(おおとものやかもち)中国守に赴任

富山地方が国家に組入れられたのは古代古墳時代の5世紀頃で、伊弥頭国造(いみずのくにのみやつこ)が置かれてれてからです。伊弥頭(いみず)伊弥頭いみずは氷見、高岡、射水の各市だと考えられますが、大化の改新(645年)で、国造は廃止されました。その後北陸地方は「越の国」と呼ばれ、越前・越中・越後に3分割され、「越中」の国が誕生しました。越中国の圏域は何回かの変遷を経て現在の富山県域となりましたが、大和朝廷にとっては蝦夷鎮撫や渤海国との公益基地(この頃から伏木港としての機能がありました)として重要な位置にありました。その国府は現在の高岡市伏木にあり、ここに大伴家持が国守として赴任したのは、746~751年の5年間です。 家持は集まる人々としばしば歌会を開き、これらの人々の歌を含めてめて325首もの歌が万葉集にあります。(家持自身の歌は223首です)
そのうち家持の2首。

  • 朝床に 聞けばはるけし 射水川 朝漕ぎしつつ うたう舟人
  • 立山に 降りおける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし(神体から=神体)

この射水川は、当時「庄川」は小矢部川下流部で合流していました。庄川から流れ出る左派川は、殆ど小矢部川の右支川となり、この状態は近代の明治末期の両水系が分離されるまで続きました。(詳細は昨年1月号の本紙掲載「庄川」編をご覧下さい)

富山県の誕生

近代・明治時代になり廃藩置県が進められましたが、同じ加賀藩だった石川、富山両県での変遷は目まぐるしいものがありました。この原因は治水重視と道路重視の対立で、最終的には治水重視の富山県設置が明治16年に正式決定されました。因みに明治23〜32年間の平均土木費(主として治水費)は県予算全体の60%でした。なお、現在全国で109水系が指定されていますが、狭い(4200km2で新潟県等の1/3です)県内に指定区間のある1級水系が5水系もある県は富山県だけです。

写真1 大伴家持像

図1 富山県の誕生

流域及び河川の概要

小矢部川は、その源を富山・石川県境の大門山(標高1572m)に発し、北流して砺波平野に出て南砺市、小矢部市、高岡市を経て日本海に注ぐ、幹川流路延長68km、流域面積667km2の1級河川です。地図等を見ると、左側に小矢部川、右側に庄川がありますが、その離れ程度は下流程小さいことがわかります。河口部は日本海に流れ込んでいます。小矢部川下流部は庄川からの土砂による扇状地のため左側(西側)に押寄せられ、富山の河川にしてはめずらしく緩勾配で、大きく蛇行しています。

なお、小矢部川は1967年6月1日、1級河川に指定されました。

見どころ寄りどころ

  • 平安時代の1183年、小矢部川下流部、富山・石川県境の倶利伽羅(くりから)峠での源平の戦いで、源義仲がとった戦略が「火牛の計」(写真2)で、平家軍が寝静まった夜中、数百頭の牛の角に松明を付けて襲い、平家軍を谷底に落して壊滅させたという戦いです。中国の故事に記載があり、義仲が実際に使ったかどうかについては、議論があるそうです。

    写真2 合掌造りの民家

  • 県都富山市に次ぐ都市高岡市では加賀藩の2代目前田利長等の保護のもと、銅器、漆器、金工等様々技術が育ち、なかでも銅像や置物、寺鐘等銅器の全国シェアは約90%を占めていたことがあったそうです。 写真3は高岡大仏(全高15.85m)で、1933年の完成です。

    写真3 高岡大仏

  • 1445年の「一国一城令」により廃城となった高岡城に代わるものとして造営されたのが、瑞龍寺で加賀3代目で義弟の「利常」が建立した曹洞宗の寺院です。1997年に国宝に指定されました。

    写真4  瑞龍寺

  • 小矢部川から神通川の河口部の河口にかけて、前記のとおり古代からの港(伏木港)として使用され、神通川付近の富山港と合わせて、1951年には重要港湾に、1986年には特定重要港湾に指定されました。

<参考文献>

1) 「富山県の歴史」深井、本郷、久保、市川 著 山川出版社 2007年8月発行


2) 国土交通省HP
https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/


3) 「富山工事事務所六十年史」 建設省北陸地方建設局富山工事事務所 1996年2月発行(非売品)


4) 津幡町観光ガイド
http://kankou.town.tsubata.ishikawa.jp/content/detail.php?id=40


(Up&Coming '22 春の号掲載)