• 前自由民主党副総裁
    弁護士

    高村 正彦(こうむら まさひこ)

  • 前自由民主党副総裁で、経済企画庁長官や外務大臣、法務大臣、防衛大臣などの要職を歴任された高村正彦さん。フォーラムエイトの特別顧問に就任いただいたのを機に、連続インタビューを実施。「Up & Coming」2020年秋の号(131号)より「高村正彦の政治外交講座」と題し、連載をスタートしています。
    本連載では、複数回にわたるインタビューを通じ、氏の弁護士あるいは政治家としての多様かつ貴重な経験に基づくお話を誌上にて再現。その政治や外交に関わる独自の視点にも迫っていくことを目指します。
    前・後編(134号135号)にわたったパックン(パトリック・ハーランさん)との対談を挟み、連載第6弾では、自らが経験された派閥継承と総裁選出馬、さらにキーパーソンとして関わった郵政解散や環太平洋パートナーシップ(TPP)を巡る逸話、その後主要なプレーヤーらが交代し大きく環境の変化したTPPの取り組みへの思いなどを語っていただきます。

派閥領袖に至る経緯
政権や重要施策へのアプローチ

組織のリーダーにはいろいろなタイプがあり、組織内にもやはりいろいろな人がいます。組織あるいはプロジェクトを取りまとめていくということは、リーダーとしてそれぞれの人をどう活かすか、という話。だからメンバーに「滅私奉公でやってもらいたい」と思えば、リーダー自身は「メンバー以上に滅私奉公にならなければいけない」。しかし高村さん自らは「『滅私奉公』なんて出来ない」と言い、自分を活かして奉公する「活私奉公」を標榜。その観点から、それぞれ異なる能力・個性の人がそれらを最大限発揮し、同じ目的に向かって働けるようにすることがこれからの組織にとって大切になる、との考えを示します。


平和主義と現実主義の伝統受け継ぐ派閥

父・坂彦氏の政界引退を受け初めて臨んだ1980年の衆議院選挙で当選した高村さんは、かつて父が所属し、自らも入ることとしていた三木派の総会に出席。ところが思いがけず、そこで派閥領袖の三木武夫氏が派閥解消を宣言。その数ヵ月後、河本敏夫氏が旧三木派を母体とする河本派を立ち上げるのを機に、高村さんは同派に所属します。

「三木さんと河本さんの共通点は、ともに平和主義者ということです」。三木氏は戦前、大政翼賛会の非推薦候補として衆議院議員になり、日米関係が緊迫化してきた中で催された日比谷公会堂の演説会では米国との開戦への反対を主張。また河本氏も旧制姫路高校在学中、反軍演説をしたことなどから放校された過去があります。その一方で河本氏は後年、国際緊急援助隊への自衛隊参加や、湾岸戦争後のペルシャ湾への自衛隊掃海部隊派遣の必要性を訴える高村さんをバックアップ。筋金入りの平和主義者と目されてきた河本氏は、必要に応じ極めて現実主義的な対応も見せた、と高村さんは振り返ります。

河本氏が1996年に政界を引退して以降も、谷川和穂氏を代表世話人としベテラン議員が集団で牽引する体制で旧河本派は継続。もう少し若い世代からの新たな会長擁立を求める機運が派内に醸成されてきたのを背景に、大島理森氏を介して高村さんか同期の臼井日出男氏のいずれかでどうか、と打診。中央大学の先輩でもある臼井氏から「高村、お前やれよ」と言われ、大島・臼井両氏が手伝ってくれるなら、と受諾。とはいえ、河本氏と同じようには出来ないとの思いもあり、高村さんの会長就任(2000年)後も「旧河本派」の名称はそのままにスタート。翌年に河本氏が亡くなった後、「高村派」に改称されています。


総裁選出馬

派閥内で総裁選に出てはという話が持ち上がり、高村さんは2003年の自民党総裁選に出馬します。当時は小泉純一郎総理大臣の絶頂期で勝算は低かったものの、小泉氏の国債発行額30兆円未満抑制方針への危機意識から、1)ワイズ・スペンディングにも通じる、いつかやらなければならない公共事業の厳格な審査に基づく前倒し実施、2)少子化対策としての児童扶養手当拡充―を柱に公約。ただ、立候補に必要な20人の推薦人集めには苦労。もともと小所帯の派閥であるのに加え、自身や現職閣僚、総裁選管理委員長を除くため、派閥外から7名を確保して何とかクリア。総裁選中には一人の評論家が悪意あるコメントを発し、それに対する自らの怒りが小泉氏に向いてしまったのは若気の至りだった、と自省します。総裁選の結果は立候補した4人中最下位ながら、取得した議員票54票は派閥18名の3倍に相当し、予想外の健闘に場内でどよめきが起こったといいます。他方、そこでの経験から自身の腹の中では「総裁選は一度でいいな」との思いを強くした、と明かします。


郵政解散とTPP

民主党政権下で環太平洋経済連携協定(TPP)に参加するか否か検討されていた2011年、茂木敏充政調会長の依頼により高村さんは党内でTPPの議論をする外交・経済連携調査会長に就任します。当時、TPPは「聖域なき関税撤廃が前提だから反対」とする議論が多かったことを踏まえ、「聖域なき関税撤廃を前提とする限り交渉参加に反対」というキーワードを考案。党内の推進・反対両派の幹部に諮り、それぞれから合意を得ます。自民党が政権復帰(第2次安倍内閣)した翌2013年、来日した新旧の米国務次官補(ダニエル・ラッセル氏とカート・キャンベル氏)からの申し出で会食。TPPへの参加を求められたのに対し、高村さんは「予め全ての分野の関税撤廃が前提ではなく、全て交渉で決まるということを約束してくれればいい」と回答。するとその後、訪米した安倍首相にオバマ大統領が高村さんの言葉通りに約束し、安倍首相がTPP交渉への参加を決断するに至ります。これまでの間、トランプ大統領時代に米国が同交渉から脱退した後、日本を始め残る国々が何とかTPPの枠組みを形成。英国や中国などが参加の意向を示すなどTPPを巡る世界の情勢は大きく変化。高村さんはこうした経緯も含め、日本の参加を強く勧めた米国が新政権の下、TPP交渉の場に復帰することへの期待を述べます。


(執筆:池野 隆)

SPU招待特別講演にて高村氏の登壇が決定!
特別講演「空想的平和主義と現実的平和主義 振り子の真ん中で」

開催日:2022年1月26日(水)
会 場:芦屋ベイコート倶楽部(兵庫県芦屋市)

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  • 高村正彦氏プロフィール

    昭和17年生まれ。山口県出身。中央大学法学部を卒業後、弁護士として活躍。55年の衆院選で初当選し、経済企画庁長官、外相や法相、防衛相を歴任。平成24年の第二次安倍内閣誕生時から自民党副総裁を務め、集団的自衛権の限定行使容認や憲法改正等で党内議論を主導した政策通として知られている。29年に国会議員を引退されたが、30年10月までの党副総裁の要職につかれ、その通産在任日数は歴代第一位。現在は、自民党憲法改正推進本部の最高顧問として奔走されている。

  • 著書

    私の履歴書 振り子を真ん中に

    著 高村正彦/発行 日本経済新聞出版社

    現実的に合理的に何が国益かを考える。外交・安全保障で活躍してきた自民党副総裁が、自らの原点から、37年余の議員生活まで回顧。生々しい証言の数々から、政治の実相が現れる。

(Up&Coming '21 春の号掲載)



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